◆南開大学八里台キャンパスについて
広報委員 4班 氏名 新地基生
私たちの留学先である南開大学は1919年に設立され、100年以上の長い歴史を持つ大学である。昔から中国国内の名門大学の一つであり、敷地面積が456万もあるので大学から出ずとも生活ができるような広さがある。大学内には衣食住に困らない建物が多くあり、私たちの下宿先である愛大会館などの宿舎をはじめ、3つの食堂、スーパーマーケット、カフェに加え、運動場、体育館、プールなどがあり運動をするにも困らない。
私たちが授業を受けている教室がある漢語言文化学院には愛知大学生だけではなく、様々な国の中国語を学んでいる人がいるので、中国人以外とも交流することができる。私たちは南開大学に来てまだ1カ月もたっていないので、これから南開大学についてまだまだ知ることが多くあると思う。
◆天津市について
広報委員 4班 氏名 和田凱翔
天津市は北京、上海、重慶とともに四大直轄市のひとつであり、人口も規模も大きな市である。そして13区5県を管轄する貿易と工業を中心とした大都市である。天津市の人口は約1300万人である。昔から貿易が盛んで、中国北部最大の天津港は、北京の海の玄関と言われている。そして中国において重要な位置を占めている。天津市は京劇、昆劇、曲芸などの文化の発祥地と言われている。また天津には昔ながらの建物や歴史が多くある。中華人民共和国の首都北京市には、高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、30分から2時間以内で行くことが可能できる。
また天津市には「天津三絶」という名物が3つほどあり、狗不理包子(肉まん)、十八街麻花児と耳朶眼児(揚げパン)のことを指している。また天津市はどこに行っても人口が多く、東京のような都会を感じることができる。
◆天津に来て気づいたこと
広報委員 5班 氏名 松尾優澄
最初の1カ月は日本とのギャップに驚くことが沢山あった。天津空港に降り立った時からギャップが広がっていた。それは空気が黄色く濁っており、100m先の建物でさえ見えなかった。こんな環境で4カ月もやっていけるのかと不安に思った。けれども、空気が濁っていたのは初日から2日間だけであった。他の日は日本よりも晴れが多く秋晴れが続いていた。天津はとても栄えており、橋の上の観覧車(天津アイ)、天津タワー、夜市、デパート、日本のビルよりはるかに高いビル群、大きい道路などどれも日本より規模が大きく驚いた。
他に驚いたことは天津の車のルールだ。それは歩行者優先ではなく、車優先であること。また、大通りを横切る横断歩道は15秒くらいであり、渡り切るのが難しいこと。運転はとても荒々しく、車幅は狭く、隙にどんどん車が入ってくる。タクシーに乗った時は、遊園地のアトラクションに乗っているような気分になった。だが慣れてくると、信号で止まってもすぐに発進できるし、スピードをだしてくれるのでノンストレスと感じるようになった。ちなみに車優先なのは中国全国の話ではなく、天津特有の走りであると聞いた。