愛知大学 現プロだより

~現代中国学部 現地プログラム 学生・教員からの近況報告~
現プロだより2023
中国・南開大学からのたより

12月のたより

学生からのたより

◆最後の単元テストについて
広報委員 1・2班  氏名 松浦李帆、上地花夏
中国にきてから南開大学での最後の第5回単元テストが終わった。留学が始まったばかりの頃は、テストでのリスニングが難しく、聞き取ることに苦戦していたが、後半に差し掛かってくるにつれ、4回目あたりのテストからリスニングもだんだん聞き取れるようになってきたなと自分自身でも感じることができた。約4ヶ月という短い留学期間だったが、毎日の授業での正しいピンインの読み方、発音の練習に加えて、先生や現地の中国人との関わり、会話が大きくリスニング力を高めることに繋がったのではないかなと思う。中国人と交流する際に自分でピンインと声調に従って発声してみたつもりでも、発音の仕方が間違っていると指摘され正しい発音を授業外でも学ぶことができた。このような、現地の中国人との関わりは、この留学において、私たちの中国語の学習を大きく高めることができたと感じる。


◆天津の天候とインフルエンザの流行

南開大学では約20センチもの雪が積もった。雪で真っ白になった学内の景色は学生たちにとっても忘れられない思い出になると思う。私たちが帰国する週には、最低気温がマイナス16℃になると予想されている日もあり、日本で過ごす中ではあまり感じることができない気候の変化に驚いた。また、11月からインフルエンザやウイルス感染症などが流行した。罹患した学生の隔離や授業中のマスクの着用、授業前の手指消毒を徹底するなど感染症対策が行われていたが、現時点でも約50名の学生がインフルエンザなどの感染症に罹患した。天津で過ごすのも残り少ない時間となり、帰国がだんだん近づく中で、無事全員で帰国できるように風邪や感染症にいっそう気を付けて、最後まで有意義に過ごしたいと思う。

漢語言からの景色


食堂に向かう道

11月のたより

学生からのたより

◆講演会について
広報委員 7班  氏名 三堂愛佳
11月17日金曜日、5名のパネリストを招いて講演会が行われた。
今回行われた講演会は5名のパネリストとファシリテーター、愛知大学の学生で討論会のような形で行われ事前に学生内で集められた質問についてパネリストの方々が自分の経験談を交えて答えて下さった。
質疑応答では、中国で働くために語学力以外に必要な知識は何でしょうか?等、多くの学生が積極的に質問をする場面が見受けられた。講演会を通して多くの学生が、疑問に思う点を言葉にし、人生の先輩であるパネリストの方々に多くの質問をすることができたと思う。また中国で過ごす上でのコツやアドバイスを、ぜひ今後の留学生活にも活かしていきたいと思う。


◆天津の津湾广场と海河について
広報委員 7班  氏名 小川世傑
海河は天津の母なる川となっている。当然景色はきれいだが、津湾广场の近くから見るのが一番美しいと思う。
海河の側に沿って散歩をするのが一番お勧めである。特に夜になると、だんだんと人が多くなり、記念品、おもちゃなどの手作り芸術品を販売する人がいる。そして、美味しい焼き物、タピオカ、冰糖葫芦、カクテルまでも作る人がいる。購買以外には、釣りをしている人がいたり、ギターを弾く人がいたり、生放送をする人など、様々な人がにぎやかな海河を組み立てていた。景色も非常に綺麗だと思う。高いネオン灯ビルや海河の側に設置した道路電灯など灯火のかげで、まるで不夜城となる、天津駅港で海河遊船にも乗れる。そして天津之眼は最も美しい処であった。


◆天津の繁華街‘平和路商店街’について
広報委員 5班 氏名 山本裕美子
天津に来てから約3ヶ月、残すところ留学生活も1ヶ月となった。最初よりは中国語も上達し、週末は様々な所に出かけるようになった。天津で最も繁栄していると言われている平和路商店街には大型ショッピングモールやフードストリートが沢山あり、観光に適していると感じた。その中の1つで目に止まったものが「星巴克」であった。ここの建物は元々銀行であり、旧西洋建築でほとんどの観光客は、ここの前で写真を撮っていた。そして大型ショッピングモールの1つである「伊勢丹」では沢山の日本料理が食べられるお店が並んでいた。入った時に「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる「和幸」に行ってみると、久しぶりに日本を感じる事ができてとても良かった。 他にもすき焼きやはま寿司など、どのお店も混んでおり、中国でも日本料理は人気だと感じた。平和路商店街は観光客で溢れかえって夜になっても賑やかで楽しい街であった。

10月のたより

学生からのたより

◆天津之眼について
広報委員 S班  氏名 加藤里紗
天津之眼は天津のランドマーク的な建物と橋の上に建てられた観覧車である。そう、橋の上から景色を楽しめる世界で唯一の観覧車なのだ。天津の眼という名前だが、どの都市にも観覧車はあるだろう。なぜ天津の眼はアジアナンバーワンと言われるのだろうか。まず、物理的な観点から見ると、天津の眼は非常に大きく、直径は110メートル以上ある。乗客は最高点に到達すると、半径40 キロメートル以内の風景を 360 度死角なく見渡すことができる。デザイン面でも天津の眼はユニークであり、橋と車輪を備えた世界で唯一の観覧車で、橋からの景色を楽しむことができるそのデザインは精巧である。有名な観光地である故人や車がとにかく多かった。近くに夜市もありあそぶには良いスポットだと思う。まず、チケットが携帯でQRコードを読み取って買う方式で外国籍の人はパスポートナンバーの入力が必要なのと現金が使えない。タダで配っているマスコットはトラブルのもととなるのでもらわない。コスプレしている人が写真撮影を促してくるが金銭を要求してくるので断る。平日でも30分待ち程度待ち時間があり、一周で30分程度かかるので時間に余裕をもつ。


◆バスツアー
広報委員 1班  氏名 出崎真由
10月14日に、万里の長城を登るバスツアーが行われた。南開大学から二時間半ほどバスを走らせ、見えてきたのは、高く険しい山につづく長い道である。この道は、黄崖関長城であり、万里の長城の中で天津市薊県の北28キロ、崇山峻嶺に位置している。北斉天保七年、ここに関が設けられ、そこから修築を繰り返して、明代に大規模な工事が行われ現在の姿になった。黄崖関長城は、関城を中心とし、洵河両崖に伸び、東は半拉缸山に至り、崖を背にして、高いところまで建てられていた。そこを、一段一段登っていくのはとても大変であった。しかし、登った先から見える景色は絶景である。そして、昼食では、中国文化である、来たお客様をもてなすように沢山の種類の料理が並べられている。みなでテーブルを囲いながら賑やかに食べることができ、中国料理を存分に楽しむことができる。


◆国慶節の天津
広報委員 1班 氏名 村瀬未桜
国慶節期間に色々なところへ遊びに行った。
まず、ひとつ目に印象に残っている場所は中国瓷房子博物馆。地下鉄营口道駅付近にある観光スポットで、外壁も全て陶器でできていて色鮮やかでとても綺麗だった。チケット売り場に行くと南開大学生は無料で入れると書いてあったので学生証を見せてそのまま入場。係の方たちはとても気さくで、留学生だと言うと色々話しかけてくれた。中は陶磁器で作ったモニュメントが沢山あり、とても精巧な作りだった。混んでいたのでゆっくり見られなかったのが残念だが行って良かったと思えるくらい楽しかった。
ふたつ目に印象に残っている場所は杨柳青。中国の歴史を感じる建物がずらりと並んでいてとても賑わっていた。1000年以上の歴史があり、中国の時代劇に使われることもあるそう。保存状態がとても良く、当時の風俗をよく理解することができる。屋台がずらりと並んでいる通りがあり、食べ物などが沢山売っていた。生きたひよこがダンボールに沢山入れられて売られていたのにはとても驚いた。

9月のたより

学生からのたより

◆南開大学八里台キャンパスについて
広報委員 4班  氏名 新地基生
私たちの留学先である南開大学は1919年に設立され、100年以上の長い歴史を持つ大学である。昔から中国国内の名門大学の一つであり、敷地面積が456万もあるので大学から出ずとも生活ができるような広さがある。大学内には衣食住に困らない建物が多くあり、私たちの下宿先である愛大会館などの宿舎をはじめ、3つの食堂、スーパーマーケット、カフェに加え、運動場、体育館、プールなどがあり運動をするにも困らない。

私たちが授業を受けている教室がある漢語言文化学院には愛知大学生だけではなく、様々な国の中国語を学んでいる人がいるので、中国人以外とも交流することができる。私たちは南開大学に来てまだ1カ月もたっていないので、これから南開大学についてまだまだ知ることが多くあると思う。

◆天津市について
広報委員 4班  氏名 和田凱翔
天津市は北京、上海、重慶とともに四大直轄市のひとつであり、人口も規模も大きな市である。そして13区5県を管轄する貿易と工業を中心とした大都市である。天津市の人口は約1300万人である。昔から貿易が盛んで、中国北部最大の天津港は、北京の海の玄関と言われている。そして中国において重要な位置を占めている。天津市は京劇、昆劇、曲芸などの文化の発祥地と言われている。また天津には昔ながらの建物や歴史が多くある。中華人民共和国の首都北京市には、高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、30分から2時間以内で行くことが可能できる。

また天津市には「天津三絶」という名物が3つほどあり、狗不理包子(肉まん)、十八街麻花児と耳朶眼児(揚げパン)のことを指している。また天津市はどこに行っても人口が多く、東京のような都会を感じることができる。


◆天津に来て気づいたこと
広報委員 5班  氏名 松尾優澄
最初の1カ月は日本とのギャップに驚くことが沢山あった。天津空港に降り立った時からギャップが広がっていた。それは空気が黄色く濁っており、100m先の建物でさえ見えなかった。こんな環境で4カ月もやっていけるのかと不安に思った。けれども、空気が濁っていたのは初日から2日間だけであった。他の日は日本よりも晴れが多く秋晴れが続いていた。天津はとても栄えており、橋の上の観覧車(天津アイ)、天津タワー、夜市、デパート、日本のビルよりはるかに高いビル群、大きい道路などどれも日本より規模が大きく驚いた。

他に驚いたことは天津の車のルールだ。それは歩行者優先ではなく、車優先であること。また、大通りを横切る横断歩道は15秒くらいであり、渡り切るのが難しいこと。運転はとても荒々しく、車幅は狭く、隙にどんどん車が入ってくる。タクシーに乗った時は、遊園地のアトラクションに乗っているような気分になった。だが慣れてくると、信号で止まってもすぐに発進できるし、スピードをだしてくれるのでノンストレスと感じるようになった。ちなみに車優先なのは中国全国の話ではなく、天津特有の走りであると聞いた。