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東亜同文書院(のちに大学)とは、1901年に中国の上海に設立された、日中提携のための人材育成を目的とする高等教育機関であり、1945年の日本敗戦により閉学するまでに5,000人もの卒業生を送り出しました。その閉学後に帰国した教職員によって1946年に開設されたのが愛知大学です。東亜同文書院大学記念センターは、本学の「生みの親」ともいえる東亜同文書院大学の研究教育の業績を明らかにするために、豊橋キャンパスの大学記念館に開設されました。
学籍簿・成績原簿・大旅行報告書をはじめとする同文書院関係資料に加え、孫文・辛亥革命と山田良政・純三郎関連資料など、他に類のない資料を所蔵し、3つの展示室に常設展示しています。このほか、機関誌やブックレットの刊行、公開講演会の開催などを行っています。
当センターは2006年、文科省より「オープン・リサーチ・センター」として選定され、書院の総合的研究だけでなく、書院を継承した愛知大学史の研究も進められ、大学史展示室も改装一新しました。各展示室は音声ガイド、タッチパネル、DVDなどの設備を備え、より分かりやすくなりました。 |

展示室の見学は以下の時間帯であれば、どなたでも自由に見学することができます。
| 開館時間: |
午前10時〜午後4時 |
| 休館日: |
月曜日、日曜日、祝日、11月15日、夏期・冬期休暇期間 |
これ以外の時間帯に見学を希望される方は、東亜同文書院大学記念センター(TEL:0532-47-4139)までお申し出ください。
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| 〈大学史展示室〉 |
| 展示室A |
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創成期の愛知大学の歩み |
| 展示室B |
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現在の愛知大学に至るまでの道のり |

設立 1991年(平成3年)9月10日
東亜同文書院大学の足跡と伝統の灯火が絶えることなく後世に承継発展されることを願って設立されたのが東亜同文書院記念基金会である。
記念基金会は東亜同文書院卒業生と財団法人霞山会(東亜同文会の後身)及び愛知大学(東亜同文書院大学の伝統を継承)の拠金による基金をもって、東亜の教育・文化の交流と発展に寄与するため、東亜同文書院記念賞を設けて、東亜同文書院建学の精神の継承発揚という観点から、これにかなう業績をあげた各方面の方々に対し、毎年賞状及び賞金を贈るほか、大学・研究機関に対する研究の助成等の事業を行っている。
上海にかつてあった日本の学校「東亜同文書院」のちの「東亜同文書院大學」は1903年(明治36年)3月に第1回の卒業生を出した。以来、1945年(昭和20年)終戦により廃校となるまで学生の数は約5,000名にのぼった。これら卒業生や教職員等によって組織された同窓会が滬友会である。1942年(昭和17年)以降は社団法人滬友会として戦後も長く活動を続けたが、会員の高齢化を機に1996年(平成8年)法人格を返上し、任意団体となり今日に至っている。
滬友会。滬(こ)というのは、中国の都市上海の別称。昔の地名である。
2000年(平成12年)12月18日に開通した北京と上海を結ぶ全長1,262キロメートルの高速道路は「京滬(日本読みは”けいこ”)高速公路」と呼ばれる。
愛知大学・同大学同窓会・霞山会等と密接な連携を保ち、会報「滬友ニュース」を年2回刊行、同窓の親睦等に努めている。会長は藤田照男氏(東亜同文書院36期卒業生)、会員は約1,000名。
| 事務所 |
東京都千代田区霞が関3−2−4霞山ビル内
電話 03−3581−3919 |
霞山会は、戦前日中交流の上で大きな業績を残した財団法人東亜同文会の精神と伝統を継承し、1948年(昭和23年)に設立された由緒ある財団法人である。霞山(かざん)は、東亜同文会会長近衞篤麿公の号。
霞山会の目的は、わが国とアジア諸国、特に中国との間の理解を深め、友好増進と文化の交流に努めることにあり、次の諸事業を行っている。
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日中両国留学生・研究生の派遣と受け入れ、中国人日本語教師などの招聘研修 |
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中国諸大学との交流 |
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「東亜学院」での日中両国語の教育 |
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月刊誌「東亜」および「日本展望」(中国語)の発行 |
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「現代中国人名辞典」「中国総覧」「近代中国人名辞典」「日中関係基本資料集」等の中国に関する各種図書の出版 |
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会員会友に対する月例午餐会(講演会)の開催 |
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中国問題に関する各種研究会開催 |
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